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忘れられない恋、ありますか?~初めての彼女~完

 

 彼女がK氏と付き合っていることが公となり、私たちは何の別れの言葉もなく終わりました。

 

 

 胸が張り裂けそうな思いを抱えながら、それでもサッカーの練習に打ち込みました。しかし、練習に行けば、彼女もK氏もいるわけで、私は苦しい思いをして過ごしました。彼女への恋心はどうやっても消えません。

 

 

 私はサッカーの仲間として、彼女を尊敬していましたし、彼女も仲間として私をとても信頼してくれていました。それは関係が変わっても、変わらない事実でした。

 

 

 そして、私たちが信頼し合っていることは、チーム全員がわかっていることでした。私は心に傷を抱えたまま、彼女が一番信頼している仲間であり続けました。

 

 

 時は過ぎ、私は大学生になりました。彼女も私より二年先に別の大学に進学していました。私は大学生になるにあたって、一度親元から離れたいと考え、大学の寮に入りました。

 

 

 そこで新たな出会いが待っていました。寮で同期の子と仲良くなり、付き合うことになりました。その子も可愛い子で、ちょっとワガママ気分屋さんでしたが、それでも構いませんでした。ただ、どうしてもあんなに激しく燃え上がるような気持ちにはなれませんでした。

 

 

 サッカーを続けていた私たちは、合宿や遠征のときに、部屋が2人部屋のとき、相部屋にされることが、決まっていました。私たちはいけないこととわかりながら、そのときだけお互いの彼氏彼女のことを忘れて愛し合いました。体だけの関係。それでも私は必要とされていると感じ満たされるのでした。私たちの秘め事はしばらく続きました。

 

 

 大学を卒業し、就職することになりました。彼女も一足先に就職していました。私の仕事は小学校教員だったので、忙しくなることが分かり切っていたために、私はサッカーを引退することにしました。同時期に、彼女もオーストラリアへ語学留学することになっていました。私たちは同時にチームから去ることになりました。

 

 

 それ以来、彼女とは連絡もとっていないし、会ってもいません。風の便りに彼女が今どうしているか耳に入ることもありますが、もう胸は痛みません。

 

 

 私の青春時代はサッカーと彼女、一色でした。今でも当時のことを夢に見ることもあり、どれだけ強い想いだったのだろうと考えています。ただ言えることは、一人の人をあんなに熱く激しく愛することができたことは幸せなことだということです。

 

 

 今は感謝の気持ちが溢れています。

 

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